今週はじめにある別れを体験した。とても考えさせられる別れだった。
これからシニア、そして終活を意識し始めている私には、重い課題を投げかけつづけた。
昨年、ご近所のおばさんが長い看護の末、旦那さんを失いひとりとなった。
一軒家での1人暮らしのはじまり。
その後、おばさんは旦那さんとの別れの痛みが心身を蝕み始めた。
この一年はお医者さん巡りだったのではないかな。
それと同時に、生活、生きることを一人で背負う重圧に苦しまれた。
突然、一人で放り出されたような不安と闘われた。
水漏れ、スマホ、流しの詰まり、テレビの不調。
そんな日常のトラブルひとつひとつが、おばさんにボディブローとなった。
できることはお手伝いしたけれど、いつも傍にいるわけではない。
お子さんは遠くでそれぞれの家庭を持ち、一緒になることは双方の願いではなかったよう。
生きる負担に弱る身体の不安。そして旦那さんの御世話が役割だったおばさんは自分ひとり遊ぶことが苦手だった。
この土地で少しでも不安が小さくなるよう必死で励まし、声をかけた1年間だった。
ところが。
毎日揺れ動くなかで、突然、順番が回ってきたおばさんの入所の順番。
おばさんは狼狽し、それでも落としどころを探した。
心の整理ができないまま引越の日を迎え、別れの挨拶を交わした。
家族の話にご近所が口をはさむことではない。傾聴することが役割と考えた。
初めて出会ったときには本当にシャキシャキとされた力強いおばさんだった。
心が温かく、サッパリとしていて私は大好きだった。
母亡きあとは、おばさんと会うだけで優しい気持ちになった。
旦那さんを失い、一年少しで一人暮らしに終止符を打った。
おばさんの背中は多くを語りかけた。自分のシニアへの心構え、生きる力の蓄え方、そして孤独の過ごし方。
遠く離れてしまったけれど、おばさんの幸せを願う。
雨戸が締まりっぱなしの家は、地元の灯りをひとつ失った。