穿山甲の歩み

穿山甲のシニアライフ~まずは中年晩期から~

昭和の置き薬

昭和の薬1

これは肺炎、気管支炎が適応と書いてある。最終有効年月は昭和38年7月。

 

 さて、穿山甲が再び歩き始めたのは、昨年末に母との永久の別れを経験したことがきっかけ。それから、母の荷物の片づけが私の仕事となり、きっと年単位の仕事となるだろう。

片付けながら学ぶことがあまりに多い。高齢期の生きがい、収納、食事、お付き合い、孤独、そして終活。

自分の両腕が届かない収納は開かずの間となること、重い引き出しは開けなく(開けられなく)なること、少しの物を大切に使うこと。

そして日常のごみ捨てがとても大変な作業になること。

気づいたことはここにメモしておこう。

結論は、ミニマリストが生活を楽にするのではないかな。

母は姿をなくしても、こうして学びの機会を遺してくれた。

膨大な仕事を前向きに受け止め、片付けを通じてシニアの生きざまを吸収しようと私は決めた。

(これはきれいごとも〇%含まれている。だからタイマーをセットして、作業する。一度にやり過ぎない、計画通りに進まなくても、さぼっても気にしない。)

昭和時代の”置き薬?”箱が発掘された。

そこから古き薬がそのまま出てきた。ゴミ袋に入れる前に、なぜか写真を撮った。

 

昭和の薬2

昭和の薬2-2

これはタコ・魚の目を除去する絆創膏だ。これは今でも似たのがあるよね。

昭和の薬3

このタイトルは興味深い。血管栄養剤。ビタミンE製剤らしい。

    

昭和の薬4

これは角質剥離剤。いぼの取れる絆創膏として定評をいただいている、と裏面に書かれていた。